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キルギスの誘拐婚「アラ・カチュー」とは?現在・法律・なぜ続くのかを解説

雑学
キルギスの誘拐婚「アラ・カチュー」とは?現在・法律・なぜ続くのかを解説

中央アジアの山国、キルギス。天山山脈の雄大な景色、馬と遊牧文化、色鮮やかなフェルトの工芸品。旅番組や写真集では、どこか素朴で美しい国として紹介されることが多い国です。

その一方で、キルギスについて調べていると、しばしば目に入る言葉があります。
それが誘拐婚「アラ・カチュー」です。

アラ・カチューとは、キルギス語でおおまかに「連れ去って逃げる」という意味を持つ言葉です。英語では “bride kidnapping”、日本語では「花嫁誘拐」「誘拐婚」と訳されます。

ただし、この言葉だけを見ると、少し誤解が生まれます。
「昔ながらの風習なのだろうか」
「女性も本当は納得しているのでは」
「誘拐といっても、儀式のようなものではないか」

そう考える人もいるかもしれません。

けれど、現在問題にされているアラ・カチューは、本人の自由な同意なしに女性を連れ去り、結婚を迫る行為です。これはキルギスの法律でも処罰対象となる犯罪であり、国連機関や人権団体も女性に対する暴力、強制結婚の一形態として扱っています。

この記事では、キルギスの誘拐婚「アラ・カチュー」について、意味、流れ、なぜ続いてきたのか、現在の法律、実際に社会を動かした事件まで、できるだけ事実に基づいて読み解いていきます。

アラ・カチューとは何か

「アラ・カチュー」は、キルギス語の ala kachuu をカタカナにした表記です。日本語では「アラカチュー」「アラ・カチュウ」と書かれることもあります。

直訳に近い意味は、「取って逃げる」「連れ去って逃げる」。
結婚の文脈では、男性が女性を連れ去り、自分の家へ連れて行き、結婚を迫る行為を指します。

ここで注意したいのは、アラ・カチューという言葉が、かならずしも一種類の行為だけを指すわけではない点です。

キルギスでは、かつて恋人同士が親の反対を避けるため、あるいは結婚費用を抑えるために、合意のうえで「駆け落ち」のように家を出るケースもありました。これも広い意味でアラ・カチューと呼ばれることがあります。

しかし、国際的に問題視されているのは、本人の同意がない誘拐型のアラ・カチューです。
道を歩いている女性、学校や職場から帰宅中の女性、知人に呼び出された女性などが、男性本人やその友人、親族に車へ押し込まれ、男性の家に連れて行かれる。そこで親族から説得や圧力を受け、結婚を受け入れるよう迫られる。

この場合、本人の意思は後回しにされています。
「結婚」という名前がついていても、実態は自由を奪う行為です。

キルギスとはどんな国か

キルギスは中央アジアに位置する内陸国です。北にカザフスタン、西にウズベキスタン、南西にタジキスタン、東に中国と接しています。1991年、ソビエト連邦の崩壊に伴い独立しました。

国土の多くは山岳地帯で、遊牧文化の記憶が今も生活や祭り、食文化の中に残っています。人口は700万人強。首都はビシュケクです。宗教的にはイスラム教徒が多数を占めますが、国家としては世俗的な制度を持っています。

キルギス社会では、結婚は本人同士だけでなく、家と家を結びつけるものとして受け止められてきました。結婚式、親族同士の交渉、贈り物、花嫁側・花婿側の面目などが絡みます。

この「家と家の結婚」という感覚は、アラ・カチューが続いてきた背景を理解するうえで欠かせません。
なぜなら、誘拐された女性が「帰りたい」と言っても、周囲の大人たちが「もう相手の家に入ったのだから」「一晩過ごしたのだから」と考え、本人よりも家の評判を優先することがあるからです。

もちろん、キルギスの人々すべてが誘拐婚を支持しているわけではありません。むしろ現在では、若い世代、女性団体、法律家、教育関係者、都市部の住民を中心に、アラ・カチューに反対する声は強まっています。

「キルギス=誘拐婚の国」と単純に決めつけるのは不正確です。
一方で、この問題が現実に存在し、多くの女性の人生を左右してきたことも、見過ごしてはいけません。

誘拐婚はどのように行われるのか

非合意のアラ・カチューには、典型的な流れがあります。地域や家庭によって違いはありますが、多くの報告で共通して語られるのは、次のような展開です。

まず、男性側が結婚相手として女性を選びます。恋人同士の場合もあれば、顔見知り程度、あるいは一方的に好意を持っているだけの場合もあります。女性が交際や結婚を断っているにもかかわらず、男性が「連れてくれば何とかなる」と考えるケースもあります。

次に、男性本人や友人、親族が女性を車に乗せます。強引に押し込む場合もあれば、「少し話そう」「送っていく」と言って車に乗せ、そのまま連れ去る場合もあります。

連れて行かれる先は、多くの場合、男性の実家です。そこには男性の母親、姉妹、叔母、祖母など、年長の女性親族が待っていることがあります。彼女たちは被害女性を囲み、家に残るよう説得します。

「うちの息子は良い人だから」
「あなたはもうこの家に来たのだから」
「帰ったら家族が恥をかく」
「白いスカーフをかぶれば、すべて丸く収まる」

こうした言葉が投げかけられます。

キルギスの結婚文化では、既婚女性が頭にスカーフをかぶる習慣があります。アラ・カチューの場面では、女性の頭に白いスカーフをかぶせる行為が、「花嫁として受け入れた」という象徴として扱われることがあります。

もちろん、スカーフをかぶせられたからといって、本人が心から結婚に同意したことにはなりません。けれど、周囲はそれを「承諾」のしるしに変えてしまうのです。

その後、男性側の親族が女性の家族に連絡します。女性の家族が迎えに来て連れ戻すこともありますが、逆に「ここまで来てしまったなら結婚しなさい」と娘を説得することもあります。

この瞬間、被害者は二重に追い詰められます。
連れ去った側だけでなく、自分の家族からも戻る道をふさがれるからです。

なぜ逃げられないのか

「嫌なら逃げればいいのでは」と感じる読者もいるかもしれません。
しかし、アラ・カチューの問題は、物理的な誘拐だけではありません。むしろ、逃げにくくする社会的圧力こそが、この慣行を支えてきました。

大きな理由の一つは、女性の評判です。

保守的な地域では、未婚女性が男性の家に泊まった、あるいは泊まったと見なされた場合、その女性の名誉が傷ついたと受け止められることがあります。実際に何があったかに関係なく、「もう別の男性とは結婚しにくい」と周囲が判断してしまうのです。

この考え方は、被害者にとって理不尽です。
連れ去られた側に責任はありません。それでも地域社会のうわさ、親族の面目、将来の結婚の可能性が、女性の意思より重く扱われることがあります。

もう一つの理由は、家族の圧力です。

被害女性の親が、娘を取り戻そうとするとは限りません。
「相手の家が悪くなさそうだ」
「結婚話としてまとめたほうが世間体がよい」
「娘が戻ってくると、家族全体が恥をかく」

こうした考えから、親が結婚を受け入れてしまう場合があります。

さらに、警察や行政への不信もあります。通報しても「家族の問題」として扱われる、親族同士の話し合いに戻される、被害届を出すこと自体が地域で悪く言われる。そうした状況では、若い女性が一人で抵抗するのは簡単ではありません。

アラ・カチューは、車で連れ去る瞬間だけを見れば単純な犯罪に見えます。
しかし実際には、家族、親族、地域社会、性別役割、貧困、評判、法執行の弱さが絡み合っています。そのため、被害者は「逃げたい」と思っても、逃げる道を見つけにくいのです。

「伝統」なのか、それとも後から作られた正当化なのか

誘拐婚を語るとき、よく出てくる言葉が「伝統」です。

確かに、キルギスには古くから結婚をめぐる多様な慣習がありました。遊牧社会では、結婚は家族や部族の関係を結ぶ大きな出来事でした。親が結婚相手を決めることもあり、花婿側から花嫁側へ贈り物や家畜を渡す慣習も存在しました。

また、恋人同士が親の反対を押し切るために、合意のうえで駆け落ちする例もありました。これが「アラ・カチュー」と呼ばれることもあります。

しかし、現在問題になっている非合意の誘拐婚を、単純に「昔からの伝統」と言い切ることはできません。

研究者の間では、非合意型のアラ・カチューが広く見られるようになった背景として、ソ連末期から独立後にかけての社会変化が指摘されています。1991年の独立後、キルギスは経済的な混乱、失業、行政制度の揺らぎを経験しました。その中で、男性側が正式な婚約や結婚式の費用を避けるため、あるいは女性の拒否を力で突破するために、誘拐という方法を使う例が増えたとされています。

さらに、独立後には「民族の伝統」を見直す動きもありました。これは文化の再評価として自然な面もありますが、一部では女性の自由を制限する行為まで「昔ながらのやり方」として正当化する材料にされました。

つまり、アラ・カチューを理解するには、「伝統だから仕方ない」と片づけるのではなく、どのような行為が合意に基づき、どのような行為が暴力なのかを分けて見る必要があります。

同意のある駆け落ちと、同意のない誘拐婚は別物です。
この線引きをあいまいにすると、被害を受けた女性の声が消えてしまいます。

キルギスの法律では誘拐婚は違法

現在のキルギスでは、本人の意思に反する誘拐婚は法律上、許されていません。

キルギスの家族法では、結婚には当事者双方の自由な同意が必要とされています。結婚年齢は原則として18歳です。宗教的な儀式だけで結婚が成立するわけではなく、国家による婚姻登録も重要な手続きです。

また、キルギスの刑法には、結婚を目的として人を連れ去る行為、結婚を強制する行為を処罰する規定があります。2013年には、花嫁誘拐への刑罰が強化され、国際機関や人権団体の資料では、重大なケースで最高10年の拘禁刑が科され得ると説明されています。

さらに、未成年者を守るための法改正も行われてきました。2016年には、未成年者に対する宗教婚を行った宗教者や関係者を処罰する仕組みが整えられました。これは、法的な婚姻年齢に達していない少女が、宗教儀式を口実に事実上の結婚生活へ入れられることを防ぐためです。

つまり、少なくとも非合意のアラ・カチューは「文化」や「結婚の一形式」ではありません。
法律上は犯罪です。

それでも問題が残るのは、法律があっても、運用が追いつかない場面があるからです。

被害者が通報しにくい。
家族が示談を望む。
警察が早い段階で介入しない。
地域社会が「結婚話」として処理しようとする。

こうした現実がある限り、法律の条文だけでは女性を守りきれません。

どのくらい起きているのか

アラ・カチューの実数を、一つの数字で断言するのは難しい問題です。
なぜなら、誘拐婚の多くは家庭内や地域内で処理され、警察に届け出られないからです。

警察統計に表れる件数は、実際よりかなり少ない可能性があります。被害者が結婚を受け入れた形にされると、事件として扱われないこともあります。家族が被害届を取り下げる、あるいは最初から通報しない場合もあります。

一方で、研究者や国際機関、現地NGOは、2000年代以降、アラ・カチューがキルギス社会に広く存在してきたことを繰り返し報告してきました。国連機関や人権団体の資料では、年間1万人規模の女性が誘拐婚の危険にさらされるとの推計が引用されることもあります。

ただし、この数字は調査方法や時期によって変わります。村落調査の結果を、現在のキルギス全体にそのまま当てはめることはできません。都市部と農村部、世代、教育水準、家庭環境によって状況は異なります。

大切なのは、数字の大きさだけでなく、被害が見えにくい構造です。

誘拐されても、結婚したことになれば「家庭の問題」とされる。
本人が泣いていても、親族が納得すれば「解決」とされる。
被害女性が沈黙すると、社会からは事件が消える。

アラ・カチューの深刻さは、統計の外側にもあります。

社会を揺らした事件

キルギスでは、誘拐婚をめぐる事件がたびたび社会の怒りを呼んできました。特に大きな転機として語られるのが、2018年と2021年の事件です。

2018年、20歳の女性 Burulai Turdaaly kyzy さんが、結婚目的で連れ去られました。警察は車を止め、彼女と加害者を警察署に連れて行きました。ところが、その後の対応が不十分で、彼女は警察署内で加害者に殺害されました。

本来なら最も安全であるはずの警察署で、被害者が守られなかった。
この事実はキルギス国内に大きな衝撃を与えました。

2021年には、27歳の Aizada Kanatbekova さんが首都ビシュケクで車に押し込まれ、連れ去られる事件が起きました。防犯カメラの映像もあり、家族は警察に助けを求めました。しかし捜索は十分だったのかと批判され、数日後、彼女は遺体で発見されました。加害者とみられる男性も死亡していました。

この事件の後、ビシュケクでは抗議活動が起こり、警察の対応や国家の責任が問われました。多くの人が「誘拐婚は個人の恋愛問題ではない」「女性を守れなかった制度の問題だ」と声を上げました。

これらの事件は、アラ・カチューが単なる古い慣習ではなく、命に関わる暴力であることを社会に突きつけました。

なぜ今も続くのか

アラ・カチューが違法であり、社会的批判も強まっているにもかかわらず、なぜ完全にはなくならないのでしょうか。

理由は一つではありません。

まず、家父長的な価値観があります。家父長制とは、家庭や社会の中で男性の権限が強く、女性の意思が軽く扱われやすい仕組みのことです。結婚相手を選ぶ自由より、家族の都合や男性側の希望が優先されると、女性は「説得される側」に置かれてしまいます。

次に、経済的な事情があります。正式な婚約、結婚式、親族への贈り物には費用がかかります。キルギスには、花婿側が花嫁側へ贈り物や金銭を渡す「カルム」と呼ばれる慣習があります。誘拐婚が必ず費用をなくすわけではありませんが、交渉や準備を省く手段として使われることがあります。

また、「男らしさ」の歪んだ理解もあります。
相手に拒まれても連れてくることを、勇気や情熱のように語る人がいる。友人が手を貸す。親族が後から結婚話にしてしまう。こうなると、本人の拒否は「一時的なもの」と扱われてしまいます。

さらに、被害者側の沈黙を生む構造があります。被害届を出せば、家族や地域で悪く言われるかもしれない。結婚を拒んで戻っても、次の結婚が難しくなるかもしれない。警察に行っても、きちんと守ってもらえないかもしれない。

こうした恐れが、加害側に都合よく働きます。

アラ・カチューは、単独の男性だけで成立するものではありません。
周囲が止めないこと、家族が受け入れること、地域が黙認することによって続いてきました。

被害女性の人生に何が起こるのか

誘拐婚の被害は、連れ去られた数時間や数日で終わるとは限りません。

望まない結婚を受け入れさせられた女性は、学校や大学を中退することがあります。働く予定だった人が、家事や出産、夫の家族の世話に入る場合もあります。若くして妊娠し、健康上のリスクを負うこともあります。

精神的な影響も深刻です。
突然連れ去られ、知らない家で囲まれ、家族からも戻るなと言われる。自分の意思が否定された経験は、強い恐怖や無力感を残します。

結婚後に家庭内暴力を受けるケースもあります。夫やその家族との関係が最初から対等でないため、女性が助けを求めにくい状況に置かれます。

ここで見落としてはいけないのは、被害者が「結婚を続けている」からといって、最初の誘拐が正当化されるわけではないという点です。

社会的圧力の中で選択肢を奪われた人が、その後の生活を何とか成り立たせている。
それを外から見て「結局うまくいった」と言うのは、あまりに乱暴です。

結婚生活が続いていることと、自由な同意があったことは別です。

「母親や祖母が説得する」構造の怖さ

アラ・カチューの話で読者が驚きやすいのは、男性だけでなく、男性側の母親や祖母、姉妹など女性親族が説得役になることです。

なぜ女性が女性を追い詰めるのか。
これは単純に「女性が敵になる」という話ではありません。

家父長的な社会では、女性自身もそのルールの中で生きています。かつて自分も我慢してきたから、若い女性にも同じ我慢を求める。息子の結婚を家の成功と考える。地域社会で家族が恥をかかないことを優先する。

その結果、年長女性が「家の秩序を守る役割」を担わされることがあります。

被害者にとっては、これは非常につらい状況です。
同性なら味方になってくれるかもしれないと思っていた相手から、「残りなさい」「帰ってはいけない」と言われるからです。

この構造を見ると、アラ・カチューは単なる男女間の問題ではなく、社会全体の価値観の問題だとわかります。

イスラム教の習慣なのか

キルギスはイスラム教徒が多い国ですが、アラ・カチューを「イスラム教の習慣」と説明するのは正確ではありません。

イスラム法の結婚では、本来、当事者の同意が重視されます。本人の意思に反して結婚を強制することは、宗教的にも正当化されるものではありません。

ただし、現実には、宗教的な結婚儀式である「ニカーフ」が、家族や地域の圧力と結びついて使われることがあります。国家による婚姻登録の前に宗教儀式を行い、周囲が「もう夫婦だ」と扱ってしまうのです。

そのため、キルギスでは未成年者の宗教婚を防ぐ法改正も行われました。これは、宗教そのものを否定するものではなく、未成年者や女性の自由な意思を守るための対応です。

アラ・カチューを理解するには、宗教だけで説明しないことが大切です。
背景には、家族制度、地域社会、経済、性別役割、法執行の問題が複雑に絡んでいます。

キルギス社会は変わりつつある

暗い話ばかりに見えますが、キルギス社会の中では変化も進んでいます。

女性団体や人権団体は、アラ・カチューを犯罪として認識するよう訴えてきました。学校や地域での啓発活動、被害者支援、法律相談、シェルター運営なども行われています。

国連女性機関、国連人口基金、欧州連合などの国際機関も、キルギス国内の団体と連携し、女性に対する暴力をなくすための取り組みを支援してきました。

SNSの存在も大きくなっています。
かつては地域の中で隠されていた事件が、動画、防犯カメラ映像、家族の訴え、報道を通じて全国に知られるようになりました。被害者を責める声だけでなく、「これは犯罪だ」「警察は動くべきだ」と求める声も可視化されました。

若い世代の中には、アラ・カチューを「伝統」ではなく「暴力」とはっきり呼ぶ人が増えています。男性の中にも、誘拐婚に反対し、同意のない結婚を拒む声があります。

もちろん、都市部で意識が変わっても、農村部や保守的な地域ではなお課題が残ります。法律があることを知らない人もいれば、知っていても「うちの地域では昔からこうだ」と考える人もいます。

それでも、アラ・カチューをめぐる言葉は変わってきました。
かつては「結婚の一つの形」と語られたものが、今では「女性への暴力」「強制結婚」「犯罪」として語られるようになっています。

この変化は小さくありません。

映画やドキュメンタリーで知られるアラ・カチュー

アラ・カチューは、映画やドキュメンタリーでも取り上げられてきました。

よく知られている作品の一つが、短編映画 『Ala Kachuu – Take and Run』 です。キルギスの若い女性が誘拐婚に巻き込まれる姿を描いた作品で、2022年のアカデミー賞短編実写映画賞にノミネートされました。

また、2000年代には、キルギスの花嫁誘拐を扱ったドキュメンタリーも制作されています。映像作品は、文字情報だけでは伝わりにくい空気や圧力を知る入口になります。

ただし、映画はあくまで作品です。
実際のアラ・カチューは地域、家庭、時代によって違います。映画をきっかけに関心を持ったら、国際機関や現地団体の報告、人権団体の資料にも目を通すと、より立体的に理解できます。

「誘拐婚」と聞いたときに気をつけたいこと

日本語で「誘拐婚」と聞くと、どうしても強いインパクトがあります。
そのため、記事や動画では「怖い風習」「信じられない奇習」といった言葉で紹介されることもあります。

しかし、センセーショナルに消費するだけでは、この問題の本質を見失います。

第一に、キルギスの人々を一括りにしないこと。
誘拐婚に反対しているキルギス人は多くいます。被害者を支援する現地の女性団体、法律家、ジャーナリスト、家族もいます。

第二に、文化という言葉で暴力を薄めないこと。
「伝統だから」と言われても、本人の同意がない結婚は強制です。文化を尊重することと、人権侵害を見逃すことは違います。

第三に、被害者を責めないこと。
逃げなかった、結婚を受け入れた、家族に従った。そう見える場合でも、本人に十分な選択肢があったとは限りません。

アラ・カチューの問題は、遠い国の特殊な話ではあります。
けれど同時に、「結婚に本人の意思はどこまで尊重されるのか」「家族や世間体が個人を縛ることはないのか」という、より広い問いにもつながっています。

よくある質問

Q1. アラ・カチューは今もキルギスで行われていますか?

はい、完全になくなったとはいえません。
法律で処罰対象となり、社会的な批判も強まっていますが、2020年代に入ってからも誘拐婚に関連する事件は報じられています。

ただし、地域差があります。都市部では反対意識が強まり、教育を受けた若い世代ほど拒否感を持つ傾向があります。一方で、農村部や保守的な地域では、家族や地域の圧力によって続くケースがあります。

Q2. キルギスの誘拐婚は本当に犯罪ですか?

非合意で女性を連れ去り、結婚を迫る行為は犯罪です。
キルギスでは、結婚には当事者双方の自由な同意が必要です。結婚を目的とする誘拐や婚姻の強制は、刑法上の処罰対象となります。

「昔からの風習」「親族が認めた結婚」と言われても、本人の意思がない場合は正当化されません。

Q3. なぜ女性の家族まで結婚を受け入れることがあるのですか?

地域社会の評判、娘の将来の結婚、家族の面目などが理由になることがあります。
未婚女性が男性の家に入ったという事実だけで、「もう戻れない」と見なされることがあるためです。

これは被害女性に責任があるという意味ではありません。
社会の側が、被害者に不利な価値観を押しつけているのです。

Q4. アラ・カチューはキルギスの伝統ですか?

合意のある駆け落ちのような形は、過去の結婚慣習と結びついて語られることがあります。
しかし、本人の同意がない誘拐婚を「伝統」として正当化することはできません。

研究者や人権団体は、現代の非合意型アラ・カチューについて、女性への暴力、強制結婚として問題視しています。

Q5. 日本人旅行者も誘拐婚の対象になりますか?

アラ・カチューは、主に現地社会の結婚慣行や親族関係の中で起きてきた問題です。日本人旅行者が同じ文脈で巻き込まれると一般化できる根拠は乏しいです。

ただし、旅行中の防犯対策は別問題です。夜間の一人歩き、見知らぬ車への乗車、飲酒を伴う誘いには注意し、外務省や現地大使館の安全情報を確認するのが現実的です。

Q6. アラ・カチューを知る映画はありますか?

短編映画 『Ala Kachuu – Take and Run』 が知られています。
また、キルギスの花嫁誘拐を扱ったドキュメンタリーも複数あります。映像作品は理解の入口になりますが、実態を知るには国連機関や人権団体の資料もあわせて読むとよいでしょう。

まとめ:誘拐婚は「遠い国の奇習」ではなく、同意をめぐる問題

キルギスの誘拐婚「アラ・カチュー」は、中央アジアの結婚文化、家族制度、経済事情、ジェンダー規範が絡み合った複雑な問題です。

合意のある駆け落ちまで含めて語られることがあるため、外から見るとわかりにくい面があります。けれど、本人の意思に反して連れ去り、結婚を迫る行為は明確に暴力です。

現在のキルギスでは、誘拐婚は法律上も処罰対象です。社会の中でも、アラ・カチューを「伝統」ではなく「犯罪」と見る意識が広がっています。それでも、被害者が通報しにくい構造や、家族・地域の圧力が残る限り、問題は簡単には消えません。

アラ・カチューについて知ることは、キルギスを一方的に断罪することではありません。
むしろ、文化という言葉で何が守られ、何が隠されてきたのかを考えることです。

結婚は、家同士の都合でも、地域の面目でもなく、本人の自由な意思から始まるものです。
その当たり前を奪われた人たちの声に耳を澄ませることが、アラ・カチューを理解する第一歩になります。

参考資料

  • Kyrgyz Republic Family Code / Criminal Code
  • UNFPA Kyrgyzstan:bride kidnapping、child marriage 関連資料
  • UN Women Europe and Central Asia:Kyrgyzstanにおける女性への暴力・誘拐婚関連資料
  • Human Rights Watch, Call Me When He Tries to Kill You: State Response to Domestic Violence in Kyrgyzstan(2015)
  • CEDAW Committee, Concluding observations on Kyrgyzstan’s periodic reports
  • Russell Kleinbach, Mehrigiul Ablezova, Medina Aitieva, “Kidnapping for marriage (ala kachuu) in a Kyrgyz village,” Central Asian Survey(2005)
  • Lori Handrahan, “Hunting for Women: Bride-Kidnapping in Kyrgyzstan,” International Feminist Journal of Politics(2004)
  • BBC、Reuters、APなどによる Burulai Turdaaly kyzy さん事件、Aizada Kanatbekova さん事件の報道

About The Author

heartofu
ITと漫画をこよなく愛する、散財オタクブロガーです。
テーマとして掲げている「一度きりの人生を楽しもう」という言葉は、政治思想家ニッコロ・マキャヴェッリの「やらずに後悔するより、行動して後悔する方が懸命である」という格言に深く感銘を受けて選んだものです。もちろん、行動した結果として後悔することも多々あります。しかし、それは自分の選択の結果であり、納得できます。一方で「あの時、もしも…」という後悔は、なかなか割り切れないものです。時には「やらなければよかった」と思うこともありますが、行動を通じて得られる経験や成長は、人生の大きな財産だと感じています。もちろん、命に関わることや、他人を傷つけたり迷惑をかけるようなことは論外です。
年齢を重ねるごとにできなくなることも増え、「明日」が必ずしも来るとは限らないのが人生です。だからこそ、今できることにはできるだけ挑戦し、後悔の少ない人生を送りたいと考えています。そんな日々のライフログを、人生が終わるまで、あるいはボケるまで続けていきたいと思っています。このような思いで書いているため、読者のニーズをあえて気にせず、忘却録として綴っている面もありますが、ご理解いただければ幸いです。また、買った商品のレビューというよりもエッセイ的な感じで買った商品を紹介しています。もし気が向いたときにご覧いただき、少しでも共感していただけましたら、ぜひSNSなどでシェアしていただけると嬉しいです。
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