テレビのニュースを見ていて、ふと引っかかった経験はないでしょうか。かつてなら「女優の○○さん」と紹介されていた人が、いつのまにか「俳優の○○さん」になっている。切り替わった日を思い出せる人は、おそらくいません。告知も、法改正もなかったからです。
それでも、変化は確実に起きました。新聞社の用語集が書き換わり、放送局の運用が変わり、海外の映画祭では賞の名前そのものが消えました。一方で「女優と呼ばれたい」と公言する当事者もいて、議論は今も続いています。
この記事では、「俳優」と「女優」という2つの言葉がどこから来て、どんな順番で生まれ、なぜ今ひとつに収束しつつあるのかを、資料と実例をたどりながら整理します。読み終えるころには、あのモヤモヤの正体がはっきりしているはずです。
第1章 実は「俳優」のほうが、はるかに古い
意外に思われるかもしれませんが、「俳優」は新しく作られた中性的な言葉ではありません。むしろ、圧倒的に古い言葉です。
平安時代末期に成立した国語辞書『色葉字類抄(いろはじるいしょう)』には、すでに「俳優 ハイイウ」の項目が載っています。900年近く前の辞書に、この2文字が並んでいたわけです。
さらにさかのぼると、「俳優」には「わざおぎ」という和訓があります。『古事記』『日本書紀』に登場する天岩屋戸(あまのいわやと)の神話で、アメノウズメノミコトが岩戸の前で舞い、神々を沸かせた場面。ここに「俳優(わざおぎ)」の語が使われています。「わざ(技・態)」で神を「おぐ(招く)」、つまり身振りや踊りで神霊を呼び寄せる行為が語源だとされています。演じることが、そもそも祭祀と地続きだった時代の言葉づかいです。
なお、日本最古の“演じ手”として神話に描かれているのが女性の神だという点は、この話題を考えるうえで小さな皮肉かもしれません。
「優」という字が持っていた意味
「俳優」の「優」を、私たちはふだん「やさしい」「すぐれている」の意味で使います。しかし漢字本来の意味には、もうひとつ「役者、芸をする人」という語義が含まれています。漢和辞典を引くと、面をつけて舞う人を表す成り立ちが説明されています。
つまり「俳優」は、「俳(たわむれる、おどける)」と「優(演じる人)」という、どちらも芸能を指す字を重ねた熟語です。性別の情報は、もともと一文字も入っていません。
ちなみに「女は優しいと書いて女優」という言い回しを耳にすることがあります。語呂合わせとしては味わいがありますが、字義の説明としては後づけです。「優」がもともと役者を指す字だと知ると、「女優」は「女+役者」という、きわめて素朴な組み合わせだったことがわかります。
第2章 「女優」は明治生まれの新語だった
では「女優」はいつ生まれたのか。答えは、明治です。
江戸時代の文献には、この言葉は出てきません。理由ははっきりしています。プロの女性の演じ手が、制度上いなかったからです。
舞台から女性が消えた1629年
歌舞伎の始まりは出雲阿国(いずものおくに)だと伝えられます。創始者は女性でした。ところが阿国の人気にあやかった一座が各地に生まれ、風紀を乱すとみなされた結果、寛永6年(1629年)、幕府は女性の舞台出演を禁じます。
以後、歌舞伎の女性役は「女方(おんながた)」と呼ばれる男性が担うことになりました。この体制が、およそ250年続きます。江戸から明治初期にかけて、舞台で演じるのは男性だけ。だからこそ「俳優」と言えば男性を指すのが当たり前で、わざわざ区別する必要すらなかったのです。
辞書に残る「女優」の初出
『日本国語大辞典』が挙げる「女優」の古い用例は、森鷗外『舞姫』(1890年=明治23年)です。「余が屡々(しばしば)芝居に出入して、女優と交るといふことを、官長の許に報じつ」という一節が引かれています。ドイツを舞台にした小説で、西洋の劇場文化を描写するなかで使われた点が象徴的です。
つまり「女優」という語は、西洋演劇との接触のなかで必要になった翻訳語的な新語でした。英語のactressに対応させる形で、日本語の側が急いで用意した言葉、と言い換えてもいいでしょう。
貞奴、律子、須磨子——女優が生まれた20年
言葉ができても、実体がなければ定着しません。明治30年代から40年代にかけて、実体のほうが猛烈な勢いで追いついてきます。
まず川上貞奴(かわかみ さだやっこ)。1899年(明治32年)、夫の川上音二郎一座に同行して渡米し、サンフランシスコで舞台に立ちました。急な代役だったと伝えられますが、これが日本人女性による近代的な舞台デビューとされ、「日本初の女優」と呼ばれる所以になっています。欧米で評判を取り、帰国後の1903年には日本国内でも舞台に立ちました。
貞奴はさらに、後進の育成に踏み出します。1908年(明治41年)に帝国女優養成所を設立。この養成所は翌1909年、帝国劇場附属技芸学校へと引き継がれました。同じころ、男性側では藤沢浅二郎が東京俳優養成所(のちの東京俳優学校)を開いています。「女優養成所」「俳優養成所」と名前が分かれていた事実そのものが、当時の語感を物語っています。
そして1911年(明治44年)、帝国劇場が開場します。こけら落とし公演の舞台に立った技芸学校第1期生のひとりが、森律子(もり りつこ)でした。衆議院議員の娘という出自もあって話題を呼び、「女優第一号」と呼ばれます。同じ1911年には、松井須磨子が『人形の家』のノラを演じ、大きな反響を生みました。歌舞伎一辺倒だった演劇の世界に近代劇が加わり、日本の舞台芸術が一気に花開いた時期です。
映画の世界でも、1919年(大正8年)の『生の輝き』に出演した花柳はるみが「日本映画の女優第1号」として名を残しています。それまで映画の女性役も女方が演じるのが普通でしたから、これも小さくない転換でした。
「危険極まる女優志願」——蔑視の対象だった時代
ここで注意したいのは、当時の「女優」が憧れの職業ではなかったという点です。
女性誌『婦人画報』に初めて「女優」の語が登場するのは明治42年(1909年)11月号。そのタイトルは「過渡時代の女学生と女優」で、「同じ運命の下にある女優と芸者」という小見出しが添えられていました。女優と芸者を同列に扱うのが、当時の常識だったのです。誌面には「女優にでもなろうという者に、道義の観念、貞操の念の強い者はいない」という趣旨の記述まで残っています。
大正2年(1913年)12月号に至っては、「危険極まる女優志願 良家の子女の夢にも思ふまじき事」という見出しの記事が掲載されました。裏を返せば、良家の子女までが女優を志すほど人気が高まっていた証拠でもあります。
やがて松竹キネマがハリウッド流のスターシステムを取り入れ、栗島すみ子のような大スターが生まれると、風向きは完全に変わります。1920年代半ばの『婦人画報』は、10年前の論調が嘘のように女優をスターとして持ち上げるようになりました。
「女優」は、蔑称すれすれの言葉から、憧れの称号へと反転した。この歴史を押さえておくと、後述するケイト・ブランシェットの発言や、日本のベテラン俳優たちの「女優という響きが好き」という感覚が、どちらも実感を伴って理解できます。
第3章 「男優」は、さらに後からできた
もうひとつ、この問題の核心にある事実があります。「女優」と「男優」は、同時に生まれていません。
毎日新聞校閲部の調査によれば、「女優」の用例が森鷗外『舞姫』(1890年)や有島武郎『或る女』(1919年)など19世紀末から20世紀初頭に見られるのに対し、「男優」の用例は薄田泣菫「茶話・名女優の冷笑」(1918年、大阪毎日新聞夕刊)、寺田寅彦「映画時代」(1930年)、川端康成「寝顔」(1933年)と、明らかに遅れて登場します。
順序を整理すると、こうなります。
俳優(平安以前〜)→ 女優(明治)→ 男優(大正以降)
「女優」が生まれた時点で、「俳優」はすでに男性を意味する語として機能していました。だから男性側には新語が要らなかった。「男優」は、「女優」ができたあとに、その対義語として遅れて作られた言葉なのです。
この生まれ方の違いが、現在の非対称を生んでいます。男性の演じ手を「男優」と呼ぶ場面は限られ、ふつうは「俳優」で済まされます。ところが女性の演じ手には「女優」という専用の語がある。結果として、男性=標準、女性=特殊という構図が、言葉のレベルで固定されました。
「男性だけ性別を書かないのは不公平ではないか」という違和感は、この構造から生じています。逆に言えば、「女優」を「俳優」に寄せる動きは、この非対称を解消しようとする試みだと理解できます。
第4章 では、いつ切り替わったのか
ここからが本題です。「気づいたら変わっていた」という感覚には、はっきりした根拠があります。
法改正も、業界の一斉通達もなかった
まず前提として、「今後は女優と言わないこと」という法律や放送基準の改正は存在しません。ある日を境に全メディアが揃って切り替えた、という事実もありません。実際に調べた人の記録を見ても、明確な号砲は見つかっていません。
起きたのは、個々のメディアが、それぞれの判断で、ゆるやかに運用を変えていったという現象です。それが同時多発的に進んだために、視聴者からは「一斉に変わった」ように見えました。
決定的だった2022年、共同通信『記者ハンドブック』第14版
とはいえ、節目と呼べる出来事はあります。2022年3月15日、共同通信社の新聞用字用語集『記者ハンドブック』が6年ぶりに大改訂され、第14版が刊行されました。
この版の最大の変更点が、「ジェンダー平等への配慮」という章の新設です。前書きには「社会的、文化的差異であるジェンダーについて初めて取り上げ、章立てしました」と記されています。
そこで示された言い換え例のひとつが、まさに「女優→俳優」でした。ちなみに同じ章では「うぐいす嬢→場内アナウンス係、車上運動員」といった例も挙がっています。
ただし、注意すべき注記が添えられています。「『女優』表記を強く求めている」場合、そして「往年の大女優」など言い換えが難しい場合は、「女優」「大女優」を使うこともある——というものです。つまり全面禁止ではなく、原則と例外を明示した運用ルールでした。
『記者ハンドブック』は報道機関だけでなく、企業の広報部門やWebライターにも広く使われています。この改訂が、日本語の書き言葉全体に与えた影響は小さくありません。
NHKの運用——「原則は俳優、例外は本人の意思」
放送についてはどうでしょうか。ある個人がNHKの窓口に直接問い合わせ、その回答を公開しています。要点はこうです。
職業名や肩書を男女で区別することは基本的に望ましくない、というのが同局のスタンス。これは放送ルールの変更ではなく、社会的な男女同権意識にもとづく判断だといいます。ただし、俳優本人が自ら「女優」と積極的に名乗っている場合には、放送内で「女優」と紹介することもある、との説明でした。
原則として社会の流れを反映し、例外として当事者の自己規定を尊重する。この二段構えが、現在の実務のスタンダードだと考えてよさそうです。
毎日新聞は「使い分けの決まりなし」
一方、毎日新聞は用語集で明確なルールを定めていません。校閲部の記事によれば、紙面では「俳優」と「女優」が併存しています。「女優と言われるのは嫌」と明確に意思表示する人がいる半面、「私は女優」と強く打ち出す人もいるため、一律の線引きが難しいという判断です。
加えて実務上の事情もあります。プロフィール記事では受賞歴を紹介する機会が多いのですが、賞の名称の多くが「女優賞」「男優賞」のままです。本文で「俳優」と書いても、受賞歴の欄には「最優秀主演女優賞」と書かざるを得ない。混在が生まれる構造的な理由が、ここにあります。
第5章 背景にある、職業名の“中性化”という大きな流れ
「女優→俳優」は、単発の現象ではありません。数十年かけて進んできた、職業名から性別を外す流れの一部です。
わかりやすい例を並べてみましょう。保母・保父は1999年の児童福祉法改正で「保育士」に、看護婦・看護士は2002年3月施行の保健師助産師看護師法改正で「看護師」に統一されました。助産婦は助産師、保健婦は保健師です。スチュワーデスは法改正を伴わないまま、慣行として「客室乗務員」「キャビンアテンダント」に置き換わりました。
こうした変化を後押ししたのが、1997年に改正され1999年に施行された男女雇用機会均等法です。募集・採用における性差別が原則禁止となり、求人広告で性別を限定する表現が使えなくなりました。職種名そのものを中性的にする必要が、実務の側から生まれたわけです。
「女医」「女子アナ」「女流作家」といった表現も、2010年代後半以降、見直しの対象になりました。「女性初の○○」という報じ方についても、ニュース価値がある場合と、単に性別を強調しているだけの場合を区別しようという議論があります。
「女優→俳優」は、この長い列の、たまたま最後尾に近いところにいた言葉だと言えます。看護婦や保母のときほど大きな話題にならなかったのは、法改正という明確なきっかけがなく、しかも「女優」がマイナスイメージのない、むしろ華やかな響きを持つ言葉だったからでしょう。
第6章 世界では何が起きているのか
日本だけの現象ではありません。むしろ海外のほうが、より踏み込んだ変化が起きています。
英語圏の「-ess」離れ
英語では、女性形を作る接尾辞「-ess」全般が後退しています。authoress(女性作家)、poetess(女性詩人)はほぼ死語になり、waitressもserverに置き換わりつつあります。actressもその流れのなかにあり、自らをactorと名乗る女性は珍しくありません。
報道の指針も揺れています。米AP通信のスタイルブックは長らく「男性にはactor、女性にはactressを使う。ただし本人が望むなら女性にもactorを使ってよい」という立場を示してきました。日本の新聞社と似た、原則+例外の構えです。
ケイト・ブランシェットの発言(2020年)
2020年9月、第77回ベネチア国際映画祭の審査委員長を務めたケイト・ブランシェットが、自らを「女優」ではなく「俳優」と呼ぶよう求めました。彼女の言葉は率直です。
「私は『女優』という言葉が常に軽蔑的な意味で使われていた世代の人間です。だから私は別のステータスを要求します」
引き合いに出したのは、イタリア語の「マエストロ」でした。この語に女性形はありません。言葉の格そのものを問題にしている点が、この発言の核心です。第2章で見た日本の「女優=芸者と同列」という眼差しと、驚くほど重なります。
ベルリン国際映画祭、賞の性別区分を廃止(2021年〜)
制度が動いた最初の大きな例が、ベルリン国際映画祭です。2020年8月に方針を発表し、翌2021年の第71回から「最優秀男優賞」「最優秀女優賞」を廃止。代わりに性別を問わない「最優秀主演パフォーマンス賞」「最優秀助演パフォーマンス賞」を設けました。
初の性別非区分の主演銀熊賞に輝いたのは、ドイツのマーレン・エッゲルト。人間そっくりのアンドロイドとの関係を描いたSFラブコメディでの演技が評価されました。主催者は「映画界がよりジェンダー意識に敏感になるためのシグナルになる」と説明しています。
この改革は、2026年の第76回でも継続しています。同年の銀熊賞(主演)は『Rose(原題)』のザンドラ・ヒュラーが受賞しました。
音楽賞が先行していた
実は音楽の世界のほうが早く動いています。グラミー賞は2012年、ポップ、カントリー、R&Bの最優秀パフォーマンス賞で性別区分を廃止しました。以降、MTVムービー&TVアワード、ゴッサム賞、インディペンデント・スピリット賞なども同様の改革に踏み切っています。
ノンバイナリーの俳優たちが投げかけた問い
この議論を加速させたのが、性自認が男性にも女性にも当てはまらないノンバイナリーを公表する俳優たちの声でした。
ドラマ『ビリオンズ』のエージア・ケイト・ディロンは2020年6月、全米映画俳優組合(SAG)賞に対して性別区分の廃止を求める公開書簡を発表しました。演技の評価に性別は関係ない、というのが主張の柱です。『ザ・クラウン』でダイアナ元妃を演じたエマ・コリンも、賞のカテゴリーが男女に分かれていることに疑問を呈しています。「ノンバイナリーでありながら女性部門にノミネートされる」状況を、どう考えればいいのか、という問いです。
さらに、ドラマ『POSE/ポーズ』のMJ・ロドリゲスが、トランスジェンダー公表者として初めてエミー賞ドラマ部門の主演女優賞にノミネートされたことも、議論を可視化しました。男女という二分法が、そもそも全員を収容できなくなっている。これが制度改革を求める側の論理です。
アカデミー賞は「検討中」、SAG賞は名前だけ変わった
米映画芸術科学アカデミーも、主演・助演の男女4部門を性別非区分に一本化する案を検討していると報じられました。ビル・クレイマーCEOはバラエティー誌に対し「まだ初期の検討段階」と述べており、2028年のアカデミー賞創設100年を見据えて環境変化に対応する意向を示しています。
ただし2026年3月の第98回アカデミー賞でも、主演女優賞は従来どおり存在しました。受賞は『ハムネット』のジェシー・バックリーです。
興味深いのがSAG賞の動きです。2026年3月開催の第32回から、名称が「The Actor Awards Presented by SAG-AFTRA」に変更されました。トロフィーの愛称が長年「The Actor」だったことに合わせた改称です。ところが部門名は変わっていません。「Outstanding Performance by a Female Actor in a Leading Role」——つまり「女性俳優(Female Actor)」という表現を使いつつ、男女区分は維持しています。actressという語は避け、しかし区分は残す。この折衷案は、業界の迷いをそのまま形にしたようで示唆に富みます。
廃止に対する反対論も根強い
性別区分の廃止には、慎重論・反対論もあります。俳優のパトリシア・アークエットやジェイミー・リー・カーティスらは、多様性を支持すると述べたうえで、区分廃止はかえって女性に不利に働くと主張しています。
この懸念には数字の裏づけがあります。アカデミー賞には監督賞、脚本賞、作品賞など、もともと性別区分のない部門があります。非営利団体「女性メディアセンター」の調べでは、2007年から2023年までの17年間にこれらの部門で受賞した人の78%が男性でした。区分をなくせば、演技賞でも同じことが起きかねない——というわけです。
賞の枠が半分になることへの現実的な不安もあります。理念と実利がぶつかる、簡単には答えの出ない論点です。
第7章 それでも「女優」は消えていない
ここまで読むと「女優」は消滅に向かっているように見えるかもしれません。しかし、実態はそう単純ではありません。
賞の名前は、ほとんど変わっていない
2026年時点でも、主要な賞の多くは「女優賞」を維持しています。
第49回日本アカデミー賞(2026年3月13日開催)の最優秀主演女優賞は、『TOKYOタクシー』の倍賞千恵子。最優秀助演女優賞は『ナイトフラワー』の森田望智でした。名称は「主演女優賞」のままです。
第79回カンヌ国際映画祭(2026年5月)では、濱口竜介監督『急に具合が悪くなる』に主演した岡本多緒が、ビルジニー・エフィラとともに女優賞を受賞しました。日本人としては初の快挙です。第38回東京国際映画祭にも「最優秀女優賞」が存在します。
つまり日本では、日常の紹介では「俳優」、賞の名前では「女優」という二重構造が続いています。前述した新聞紙面の混在は、この構造の直接の結果です。
当事者たちの声は割れている
より重要なのは、呼ばれる本人たちの意見が一致していない点です。
「女優でいい」派の発言を見てみましょう。室井滋は2025年1月公開のインタビューで、「女優でいいじゃんって思います。今さら俳優って言われてもなぁと思うし」と語りました。彼女には具体的な事情もあります。本名が「滋」であるため、「女優と言ってもらわなかったら、私を男だと思っていた人もいたと思う」というのです。実際、字面だけを見て男性だと思い込んだ読者から手紙が届いたこともあったといいます。
川上麻衣子は2024年2月、自身のXに「最近肩書きを女優から俳優に代える場面が増えてきました。これも時代の流れなのでしょうか」と投稿し、「女優はその響きへの憧れもあり、私としては無くしたくないニュアンスがある」と綴りました。これに横山めぐみが「女優という言葉の響きはとても美しいと思います」と応じ、話題になっています。
池上季実子も2024年5月、テレビ番組で「女優は女優でいい」と述べ、「その言葉自体にあこがれもある」と語りました。
2025年7月には三田村邦彦がXで「何故? 男優、女優の呼称がダメなのかわからない」と投稿し、684万回を超えるインプレッションを記録しました。
「俳優と呼んでほしい」派もいます。元AKB48の秋元才加は2021年4月、「私は女優って肩書きが正直しっくり来なくて、色々フラットに考えたいと思った結果、時代の流れもあり俳優表記を事務所の方にお願いしました」と公表しました。
どちらの立場にも筋が通っています。だからこそ、メディアが一律のルールを敷きづらいのです。
世論調査が示す“真っ二つ”
毎日新聞校閲部が実施したアンケートの数字は、この分裂を数値で裏づけています。
2023年の調査では、「男性俳優は普通『俳優』なのに、女性俳優を『女優』というのは……」という問いに対し、「男女平等でないと感じる」が46.1%、「問題ないと思う」が41%、「積極的に『女優』を使いたい」が13%という結果でした。
これを2018年の同じ調査と比べると、「問題ないと思う」47.8%、「男女平等でないと感じる」40.6%、「積極的に使いたい」11.7%。5年間で1位と2位がちょうど入れ替わった形です。
ただし、注意深く読む必要があります。「問題ない」と「積極的に使いたい」を合計すると54%で、依然として過半数を占めます。「男女平等でないと感じる」人が増えたのは事実ですが、社会全体が「女優」を拒否しているわけではありません。
この記事を読んでいるあなたの違和感は、多数派でも少数派でもなく、社会がちょうど半分に割れている地点にある。そう理解するのが、いちばん実態に近いはずです。
第8章 結局、どう使い分ければいいのか
ここまでの整理をふまえて、実際に文章を書いたり、人前で話したりするときの目安をまとめます。
まず、本人の希望が最優先です。プロフィールや公式サイトで「俳優」と名乗っている人を「女優」と呼ぶのは、単純に事実と違います。逆に「女優」を自称している人にわざわざ「俳優」を当てる必要もありません。SNSや所属事務所の表記を確認すれば、たいていはわかります。
次に、迷ったときは「俳優」が無難です。共同通信の用語集が原則としてこちらを推し、放送局も原則としてこちらを使っています。ビジネス文書、プレスリリース、社内報など、公的な色合いの強い文章では「俳優」を選んでおけば、少なくとも誤りにはなりません。
固有名詞は、そのまま書きます。
「最優秀主演女優賞を受賞」は賞の正式名称ですから、「女優」を「俳優」に置き換えてはいけません。同じ記事に「俳優の○○さん」と「主演女優賞」が並んでも、それは間違いではなく、現在の過渡期を正確に反映した表記です。
歴史的な文脈では、「女優」のほうが正確な場合があります。
「往年の大女優」「大正期の映画女優」といった表現を「俳優」に置き換えると、当時の社会状況や語感が消えてしまいます。共同通信が例外を認めているのも、この理由からです。
性別の情報が本当に必要かを、一度考えてみる。
「女性初の受賞」のように性別が記事の核心なら書くべきです。一方、単に紹介するだけの場面で性別を明示する必要があるかどうかは、書き手が判断すべきところでしょう。
そして、他人の使い方を責めない。世論調査が示すとおり、社会の意見は割れています。「女優」と言った人を無知だと決めつけるのも、「俳優」と言った人を過剰だと笑うのも、どちらも生産的ではありません。
第9章 よくある疑問に答える
Q. 「女優」は差別用語なのですか?
いいえ。差別語や不快用語として指定されている事実はありません。共同通信の用語集でも、差別語の項目ではなく「ジェンダー平等への配慮」の項目に置かれ、しかも例外規定つきです。「使ってはいけない言葉」ではなく、「性別を書く必要があるか、一度考えてほしい言葉」と捉えるのが正確です。
Q. 英語ではどう言うのですか?
男女を問わずactorを使うのが主流になりつつあります。actressも生きた語ですが、-ess形の女性名詞全般が後退しているため、若い世代を中心にactorを選ぶ人が増えました。ただしアカデミー賞などの賞の名称にはBest Actressが残っています。
Q. なぜ男性は「男優」と呼ばれないのですか?
「俳優」が先にあり、それが事実上「男性の演じ手」を意味していたところへ、あとから「女優」が加わったからです。「男優」はさらに遅れて、「女優」の対義語として作られました。生まれた順番が、そのまま今の非対称につながっています。
Q. 「女優」と「役者」はどう違いますか?
かつては活躍の場に差がありました。「役者」は歌舞伎や能といった伝統芸能の演者も含む広い言葉で、「俳優」は映画・テレビ・現代演劇のイメージが強かったのです。現在では、ほぼ同じ意味で使われています。自らを「役者」と名乗ることで、職人的な矜持を示す人もいます。
Q. これから「女優」は完全になくなりますか?
断定はできません。日常の紹介では「俳優」への収束が進む一方、賞の名称、歴史的記述、そして本人の自称としては残る可能性が高いと考えられます。「消える」というより、「使われる場面が限定されていく」と表現するほうが実態に近いでしょう。
まとめ 言葉が変わるとき、社会の何かが動いている
長い道のりを振り返ります。
「俳優」は平安時代の辞書に載る古語で、神話にまでさかのぼる「わざおぎ」の系譜を持ちます。「女優」は明治に生まれた新語で、女性が舞台に立てなかった250年の空白のあとに、西洋演劇との接触から必要になりました。「男優」はさらに遅れて、「女優」の影として作られました。この順番が、現在の非対称を生んでいます。
そして2020年代。共同通信の用語集が改訂され、放送局が運用を変え、ベルリン国際映画祭が賞の性別区分を廃止し、SAG賞が名前を変えました。「気づいたら変わっていた」のは、告知がなかったからではありません。告知を必要としないほど、多くの場所で同時に判断が下されていたからです。
同時に、変化は完了していません。日本アカデミー賞にもカンヌにも「女優賞」は残り、当事者の意見は割れ、世論調査は真っ二つです。「女優という響きが好き」という声と、「性別で分けないでほしい」という声は、どちらも切実で、どちらも尊重に値します。
言葉が揺れているとき、そこには必ず、社会のほうの揺れがあります。看護婦が看護師になったとき、保母が保育士になったとき、その裏では働き方の前提が動いていました。「女優」と「俳優」のあいだで私たちが感じるモヤモヤも、同じ種類のものです。
答えを急ぐ必要はないのかもしれません。どちらの言葉を選ぶかより、なぜその言葉を選ぶのかを一度考えること。その積み重ねが、次の時代の言葉をつくっていきます。
